少林寺拳法と小林石材

 1956年4月、高松市の玉藻道院長(当時)で香川県職員でもあった内山滋先生が、「東京を拠点にして広く関東一円に少林寺拳法を普及したい」という開祖の意向を受け、東京に転任された。

その香川県東京事務所に小林石材の創業者小林善一氏が石の仕事で訪れた時、酔っ払いが暴れていた。警察官も手を焼いていたところ、いとも簡単に取り押さえた人物がいた。その人物こそが内山先生であった。それを一部始終見ていた善一氏が「その技は何ですか」と尋ねたところ、「少林寺拳法です。東京へ普及するため香川県から来ました」と内山先生がおっしゃったそうだ。善一氏は柔道家でもあったため、内山先生とも話が合い、「東京で少林寺拳法を普及したいのであれば、是非我が家をお使いください」と申し出て、麻布十番の住まいで稽古が始まった。

そして小林善一氏の息子3兄弟は内山先生の元で東京第一期生として少林寺拳法を学んだ。息子3兄弟にとって少林寺拳法との出会いは母親が亡くなって間もなくのことだったので、おそらく小林善一氏が思春期を迎えた3兄弟に武道精神を学ばせたかったのであろう。

現在少林寺拳法は広く普及されているようだが、今後も子供たちの心身向上のため、より一層発展していって頂きたい。

(「少林寺拳法50年史」より一部加筆、修正)

一番右が内山滋先生