文永元年(1264年)日蓮聖人は故郷の母親を訪ねようと思い、千葉県小湊へ向かう途中で東京の薬王寺付近の村里を通りかかったそうです。当時、この村里は大干ばつで草木も枯れ、田畑を耕すことも出来ず村人たちは苦しみ悩んでいたそうです。
日蓮聖人は、これを哀れに思い法華経を唱えて祈祷しました。するとたちまち大地が裂けて、清水が湧き出し、苦しみ悩んでいた村人だけでなく自然界の草木もこのありがたい恵みを頂戴し九死に一生を得たそうです。
江戸時代になり諸国を歴訪していた加賀の千代女がこの霊水の噂を聞いて、「自分もそのご利益を頂戴しよう」と立ち寄りました。すると夏の朝であったため、朝顔が井戸の釣瓶に巻き付いて愛らしい花を咲かせていました。「なんと人間だけでなく朝顔のような草木たちもこの霊水のご利益のことを知っているのか」と感動して、加賀の千代女はその井戸水を朝顔に譲って、自分はわざわざ他所から水を貰ってきたということです。その時に詠んだ俳句が
「 朝顔に つるべとられて もらひ水 」
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